MADの系譜

1976年 MADの起源

MADの起源は『アオイホノオ』にも掲載されており、有名な逸話となっています。

MAD島川とネトホヘル矢野(矢野健太郎)が作ってたのが「奇知害低符」別名MADテープで、それを元にクレイジィ今井がリメイクしたり独自編集して広めたのが『NEW MAD TAPE』。

矢野健太郎とは、大阪芸術大学漫画アニメーション研究会「グループCAS」の創設者。MAD島川が元祖MAD TAPEの家元との記録があります。

『アオイホノオ』に見るMADテープの時代

 

1981年 自主制作アニメの出現

DAICON FILMの作成した「DAICON Ⅲ」「DAICON Ⅳ」は、その後のMADビデオや二次制作コンテンツに大きな影響を与えました。オリジナリティの観点から、しばしMADと混同されることもしばしばあります。

グレーじゃなくてアウトでしょう・・・
法人化して白にしてしまったゼネラルプロダクツ。恐るべし。

GAINAX NET > のーてんき通信

1984年 MADビデオの誕生

十二支団が制作したパロディコラージュビデオ「えとけっとビデオ」シリーズが最初のMADビデオと言われています。

起源の根拠は、1984年以前にMADビデオが存在した記録が一切ない。MAD業界の要人達も口を揃えて同意見であること。

また、同時期にDAICON FILMと同じく大阪で発生したことから、何かしらの影響があり「えとけっとビデオ」制作に繋がったのでは?という個人的憶測。

しかし、驚くべきことは、現在ある全てのジャンルの基礎を一人で作り上げたという事実が実名ともに「原点にして頂点」のMADビデオの由縁です。

1998年 ノンリニア編集時代の幕開け

1996~7年頃、Macでノンリニア編集を行う者が現れました。1998年にはWindows98がリリース。同時にライトユーザーでも比較的購入しやすいキャプチャーボードが多数発売され、MAD編集者が急激に増加する要因となりました。

また、P2P技術の登場により、MADの知名度が爆発的に拡散されたのもこの頃です。

 

2007年 ニコニコ動画サービス開始

ストリーミング配信の利便性と拡散性の良さが支持され、新たなコミュニティが広がりました。制作環境も完全なデジタル編集へ移行し、若い世代も始めやすいものへと変化していきました。

しかし“MADビデオ”という文化は薄れ、“MADムービー”という単独の呼称へ移り変わっていきます。オンラインで活動するニコニコ動画・youtubeユーザーと、水面下の上映会などで活動するオフラインユーザーと、活動範囲が大きく二分化しました。

 

2018年 モバイル編集時代

キャプチャーという概念はとうに無くなり、時代はモバイル編集へと突入しました。パソコン自体の所持率が低下してきた反面、モバイル環境の進化が加速してきています。

低年齢化はますます進み、中・高校生でMAD制作を始めるものも現れはじめました。

202?年 AI編集時代?

AIによる編集技術が開発され、人々は“締め切り”の苦痛から開放される。SNSはVR技術へシフトし、VR上映会が始まるだろう。。。

実際もうあるんだけどね(  ̄3 ̄)~♪

【まとめ決定版】2018年 AIによる動画編集サービスとソフト

 

MADの系譜

MADの系譜.pdf

『おたくのMADビデオ』(はじおう)

デジタル媒体で初めてMADビデオを配布された方が 『おたくのMADビデオ』の“はじおう”氏 だったと記憶しています。はじおうさんは『おたくのMADビデオ1998』を最後にMAD編集から引退しましたが、MADビデオにおけるメディアの変革を起こしたことで有名となりました。

私が入手したのは『おたくのMADビデオ1998』で、それはDATA CD形式で配布されていました。それまでMADビデオというものはVHSメディアが主流で、MADビデオの存在自体、都市伝説の如く語られてきたものでした。

『おたくのMADビデオ1998』にはVHS版とCD版が存在しました。VHS版は数百本程度製作されCD版はそれほど数は作らなかったと聞いています。

しかし当時Windows98の爆発的にヒットが後押しし、そのいくつかのCDははコピーがコピーを生み、デジタルMAD編集を世に知らしめる存在となりました。

ノンリニア編集の先駆者しかり、動画切り抜きやインチキタイトルのテクニックも、これを見て皆真似をするようになりました。

電脳絵巻のインチキロゴの原点です

また「おたくのビデオ」を見るきっかけになったのも『おたMA』の影響であり、「Gロボ」が世に知られたのも、はじおうさんのおかげと言っても過言ではありません。MADムービーとは「布教」であると教えられたのも『おたMA』でした。

彼はこのことを知ってか知らずか、爆発的に拡散されたころには、既に世の中からは姿を消しており、噂は噂を呼び、当時最も有名な都市伝説となって後世に語り継がれていきました。

私がMAD製作を始めたのは1998で、奇しくも同じ時代を活躍することは出来なかったのが今でも心残りです。

と、いろいろ功績の多いはじおうさんですが、今思えば、彼は編集者として一流でしたが、それ以上に戦略家でした。彼から受け継いだことは、作風や技術ではなく、時代の先を見る視野の広さと、常識と変革を恐れない心でした。

はじおうさんには、引退後、何度かお会いする機会があり、公式に弟子宣言させて頂くことができました。

「東北は赤く燃えている!!!!!」