MAD動画の創始者「企画グループ十二支団」(1985年)

1980年代、映像や音声を切り貼りして作られたパロディ映像が普及し始めました。後にMADビデオと呼ばれる、最初に作られた映像作品集が「十二支団ビデオ」です。近畿大学の同人イベント企画グループ「企画グループ十二支団」が制作しました。

1)「企画グループ十二支団」

【活   動】1985年~1989年
【主催団体名】企画グループ十二支団
【イベント名】もうけっと / とらけっと / うさけっと / たつけっと / じゃけっと
【構 成 員】近畿大学(漫画研究会有志)(20~30名程度)
【活 動 内 容】同人イベントの主催等
【動画作品名】十二支団ビデオ
同人誌即売会がメジャーになってきたのは、ちょうど1985年前後のころ。関西でも小規模な即売会など月程度は開催され、参加人口も数百人1,000人規模の物も多かった。しかし、その内容は画一的なものでイベントとは名ばかりの会場貸しと販売目的だけの即売会が大多数であった。そのような中で、十二支団はお祭りとして楽しめるイベント性の高い即売会の開催を目指した。主体は同人誌の展示即売会であるが、同人誌の売買を主たる目的とせず、サークル参加者も一般参加者も日楽しめるような内容とするためにメインの大集会場に隣接する中集会場で企画イベントを行いました。

最初のイベントが1985年丑年であったことから「丑年コミックマーケット・もうけっと」と命名。牛の鳴き声及び儲けるとマーケットとの合成干支にちなんだ名称となったため団体名を「企画グループ十二支団」とした。同人誌即売会の他に、コスプレショー、アニソン歌合戦等の企画があり、その中で企画された物の一つが編集パロディビデオの上映会。当時としては圧倒的に自由度の高いイベントで、参加者からもかなりの高評価を得ました。場所は大阪市にある大阪市中央公会堂(中之島公会堂)で行われていました。国の重要文化財に指定される格式高い有名な建物です。

2)「びすけっと実行委員会」※前身団体

【活   動】1984年
【主催団体名】びすけっと実行委員会
【イベント名】ビスタマーケット
【構 成 員】近畿大学(SF研究会 / 漫画研究会 / アニメ研究会 ※当日スタッフのみ)
(30名程度)
【活 動 内 容】同人イベントの主催等
【動画作品名】びすけっとビデオ

十二支団発足の経緯をお聞きすることができました。インターネットの情報では発足が84年や85年と諸説ありまして、ここらへんを直接団長のtencho様に質問してみました。

十二支団は1985年発足であるが、十二支団が発足する前に前身となる団体がありました。名を「びすけっと実行委員会」。そこで企画された同人イベントが「ビスタマーケット」。この同人会場の一角で、アニメのオープニング集などの上映を行った中に「びすけっとビデオ」がありました。

「びすけっとビデオ」とはMAD的な要素も持ち、自主製作映像としての要素も持つまさに自主製作映像とMADビデオの過渡期にあった物である。実際に実写撮影されたCMパロディ、ニュースパロディなどに加え今でいうOP差し替えMADなども既にありました。 当時は型の小さなテレビで何の予告もなく会場の片隅で上映しただけなので、テレビ周りの人しか見れなかったとのこと。それでも反響はすごかったそうです。

なお、「びすけっと実行委員会」はこの年で解散。その後、同人誌即売会イベントを引き継ぎ、1985年、近畿大学漫画研究会有志によって「企画グループ十二支団」を立ち上げましました。

3)十二支団ビデオ

「企画グループ十二支団」が主催する同人イベントの一角で、当時はパロディービデオなどと呼ばれた映像を制作・上映していました。十二支団以外にも沢山の同人系動画が存在してたそうですが、当時変なものを作っていたのは「十二支団」だけだという話もおおく残されており、世に認識された最初のMAD映像と言われるようになりました。

動画系MADの基礎は、ほぼ「十二支団ビデオ」によって作られました。パロディ、オープニング系、ミュージックビデオ系、替え歌、CM、サブタイトルオチ、アイキャッチ、手書き、本人達の自作自演ネタ。また技術面でもCGやテロップとエフェクトの基礎も既に導入し、今なおこの大分類以外のMADは現れていません。

1980年代当時、娯楽・情報の少ない中で、十二支団ではこのようなスローガンが作られました。

「本当に面白いものは自分で作るしかない」
「十二支団ビデオ」の制作方針として年1回の作品集で毎回新しいものを取り入れようと色々考えられたそうです。

30分と言う時間を見てもらうためには色々な仕掛けが必要であるが、仕掛けすぎて難解になっても飽きられてしまう。曲はなるべくメジャーなものを使い、視聴者が歌詞を自身で歌いながら映像を見れるようにする。中だるみ、息継ぎを作る。

※この点は私が一番影響受けたところで、私が毎回ジャンルを変えるスタイルになった原点でもあります。MADエンターテイメントなんだなと教えられた、一番最初の教科書でした。

十二支団ビデオ制作の代表者であるtencho氏は、十二支団結成時は企画・制作を担当で、このときはまだ1回生。二回目より団長に就任。で、三回目の「うさけっと」終了後退任されたそうですが、この後も十二支団の重要人物として関わることになります。

なお「十二支団ビデオ」はイベント上映の為に製作されたもので、一部関係者を除き、一般配布はされておりません

4)十二支団ビデオシリーズ

1985年「もうけっと」・・・・DJ形式のミュージックTV的な構成
1986年「とらけっと86」・・・サブタイトルオチシリーズ
1987年「うさけっと87」・・・OPネタ、一部字幕ネタ
1988年「たつけっと88」・・・ミュージックビデオ、ドラマ仕立ての字幕ネタ
1989年「じゃけっと89」・・・ルーチンギャグ、間奏部分の台詞挿入
2002年「帰ってきた十二支団ビデオ」・・・ノンリニア編集へ移行

1985年 – もうけっと

当初はこの一回限りで十二支団は解散の予定だったそうです。
ですが、あまりにも成功してしまった為、次年度の開催が決定。「とらけっと」が開催されました。

1986年 – とらけっと
昨年度同企画開催
1987年 – うさけっと

中の島公会堂の消防法上の収容人数は会場の中ホール・小会議室合わせて700人だったそうですが、この年は、驚くことに来場者が1,200人を超えたそうです。当然上映会場にも客が殺到し、収容人数200名の小会議室で3回上映したが、視聴できなかった来場者が続出したとのこと。

「うさけっと」開催後、十二支団創設メンバーは全員卒業してしまい十二支団は一旦解散となりました。この年で天超さんも団長を退任されました。

1988年 – たつけっと

翌年、後輩が続けたいとの要望から、後任を任命し「たつけっと88」を企画。しかし開催の3ヶ月前になって、後輩である実行委員長及び企画担当から「準備できない」「ビデオ企画が作れない」などと泣きつかれ急遽団長に復帰。十二支団創設メンバーを再集結させて「たつけっと」は一応は開催されました。

しかし、この年の来場者はなんと!?前年度の倍を上回る、過去最大の3,000人が来場。うさけっとビデオの反響が大きすぎて、このような事態になったとか。1日に3回上映を行ったが、それでも600人しか視聴できない状況にいよいよトラブルも出始めたそうです。

一気に人気に火のついた「十二支団ビデオ」は、各イベントから貸し出しの依頼が殺到。当初は善意で貸し出していたものの、その後トラブルが発生するようになり、たつけっと・じゃけっとに至っては部外への配布及び貸出は一切しなかったとのこと。
※詳しくは再放送参照

1989年 – じゃけっと

昨年の高揚感が忘れられず、またしても懲りずに開催。しかしながら、当時のスタッフ皆様も卒業しており、仕事が忙しくなったり、イベント主催としての「十二支団」は自然消滅という形で膜を閉じたそうです。

2002年 – 帰ってきた十二支団ビデオ
年頃以前から交流のあったスタジオまるきさんから連絡があり、大阪ジャングル上映会での「帰ってきた十二支団ビデオ」においてノンリニア編集デビューを果たす。


【ニコニコ生放送】2019年3月31日放送「十二支団特集①」
(表で書けないことも喋ってます・・・)

【ニコニコ生放送】2019年4月14日放送「十二支団特集②」


(追記)
この記事は十二支団団長のtencho様ご本人に取材させて頂きました。
リンク先の「十二支団ビデオ」は全てtencho様ご本人より、マスターテープよりコピーして頂いたものです。

ニコ生配信のウラかた(音声環境備忘録)

 私は元々話が苦手で、声も小さく活舌も悪いもので、できるだけ大きくキレイに聞こえるようあれこれ機材を試したり、メンバー間のボイスチャットでいろんなサービスを試してみたり。けっこー地味に苦労してます・・・

はじめはマイクのホワイトノイズ、機材のノイズ、ゲインが足りない、エコー、ハウリング、声がでかい、声が小さい、ケンカが始まる等々、いろいろあってだいぶ苦労しました。ハード面はだいぶ解決したものの、そもそも音声チャット用の通信は、声だけ聞こえればいいので30kbpsくらいしかない(AMラジオは32kbps、mp4で128kbps以上)。周波数帯域も限られているので、相手側で音楽が途切れるという問題が出たり音の世界はかくも奥が深い・・・

機材の世界は上を見上げればキリがない、だんだん沼になりつつある状況です。

1)ニコ生放送準備(備忘録)
 1.環境対策
・環境音に注意。(エアコン、隣の部屋の音、服・ケーブル類接触音)
・ニコ生で放送されてる音が入らないようにする。(エコー防止)
・毛布や吸音材などで、防音対策を心掛ける。
 2.マイク

  ・コンデンサマイクを使う。(室内収録の場合)
コンデンサ・・・・感度が高い。据え置き用など。

    ダイナミック・・・ノイズに強い。手持ち用など。
・指向性があるものがベター。
   (環境音が聞こえなくなるわけではないが、ボーカルが聞き取りやすくなる。)
・マイクにはマイクカバーもしくはウインドスクリーンを使う。
・USB接続のサウンドインターフェイスを使う。
・安いUSBケーブルは使わない。
・ホワイトノイズが酷い場合は、マイクアンプを使うと解消される。
・マイクのノイズリダクションは切っておく。
・マイクの入力感度は下げておく。(強すぎると聞きずらくなる。)
  ・Bluetoothのマイクは使わない。(通信が安定しないと切れる。)
・スマホから通話しない。(通信が安定しないと切れる。エコー防止。)
・ヘッドホンを使用する。(エコー防止)
・モバイル機器の場合、電源は抜いておく。(ハムノイズ対策)
・マイクの性能は単純に値段に比例する。(安いのはノイズがひどい)
 3.パソコンの設定


・Windowsの音量の自動調整を切る。
・マイクブーストは切る。
・マイクの“このデバイスを聞く”を切る。
・配信ソフトのノイズ除去はかけすぎない。
・ボーカルはコンプレッサー、ゲインでバランスをとる。
・入力ゲインより、配信側のゲインに注意。
音声:-5dB
BGM:-24dB
動画・音楽:-15dB
SE:-5dB
・オートゲインのプラグインがあると楽。
 4.ボイスチャット
Skypなどの無料通話は全てAMラジオ音質(32kbps程度)。
なおyoutubeの音声は128kbps。無料通話サービスは人間の声の周波数帯域以外
をカットしているので、回線の状況によっては音がこもる、ゆがむ、途切れるなど
の現象がおきる。有料のWEB会議用のサービスなどは、帯域保障や周波数帯域が
広いので、無料よりは幾分品質はよい。
    DISCODで2019年から開始されたサーバー配信機能を使ったチャットだと
64kbps以上が可能になる。(ただし画面共有はできない)
課金をすると128~256kbpsの高音質の配信も可能とのこと。
(無料通話の個人的感想)
LINE・・・・・・・・・・×
   ハングアウト・・・・・・△
Skyp・・・・・・・・・・◎
DISCOD ・・・・・・・・◎
DISCOD(サーバー配信)・・◎
SkyPhone ・・・・・・・◎

※SkyPhoneは使用したことないのですが、一番音質は良い様子。
(ただし、2019年現在モバイルしか提供されていません。)

2)配信ソフト


現在以下の2択なのですが、N Airはまだ不具合が多くOBSを使っています。
  ・N Air
・OBS

N AirはOBSをベースにしたドワンゴ製の無料ソフト。インターフェイスはほぼ一緒。
違いはニコ生に自動で接続配信できるくらいかな?

3)ボイスチャット


現在、ニコ生放送時、メンバー間のボイスチャットでSkypを使用しています。過去にも、Line、ハングアウトと他にもいろいろ試してみたのですが、通信の安定性に問題がありSkypに落ち着いています。

 只今Discodeをテスト中。テクニカルな裏技を使うとSkypより高いビットレートで通信できるらしく(64kbpsくらい)、また個別にボリュームを調整できるので、聞き取りやすさが期待できるかも?近日中にはメンバーの音声が改善できるかもしれません。
(使い方が難しいので四苦八苦してます。)

ボイスチャットをする際、相手に配信ソフトの画面共有を行いながら、同時に仮想ミキサーを使ってBGMをフィードバックする方法を構築しています。それというのも、ニコ生の遅延にばらつきがある為、話がかみ合わないということがあってこういう仕組みを作る経緯に至ったわけですが、これがむちゃくちゃ難しい。

[Skyp]+[OBS]+[VOICE MEETER]

4)その他補助

ニコ生で、一部のコメントが画面に表示されない不具合があるため、このログビュワーを使っています。

ニコ生コメビュ「やります!アンコちゃん」

このソフトを使うと、184設定を解除している方のユーザー名がわかるので、非常に便利です。(しかし、ほとんど184なので、未だに誰が見てるか分からない・・・)

MADの起源(1973年)

~ 時系列 ~
1973年 MADの起源・・・・・「欽ちゃんのドンといってみよう!」
1976年 音声MADの登場・・・「奇知害低符」
1980年 tencho氏が学生時代にパロディ動画を実験製作
1984年 パロディの過渡期・・・「びすけっとビデオ」
1985年 MADビデオの登場・・・「十二支団ビデオ」

1)1973年 MADの起源「欽ちゃんのドンといってみよう!」

十二支団のtenchoさんがこんなこと覚えてらっしゃいました。

MADの起源は1973年頃からやっていたラジオ番組「欽ちゃんのドンといってみよう!」の中の「レコード大作戦のコーナー」が最初じゃないかと。これは視聴者が送ってきたネタを使ってレコードの歌詞を切り張りしたり、歌詞と欽ちゃんが掛け合いをしたりするものでまさにMADテープと言える。

ネタを集めた書籍も数巻発売されていたそうです。tenchoさんもこれに感化されて、当時カセットテープでいろいろ作った覚えはあるとおっしゃってました。

Youtube「欽ドン レコード大作戦(欽ちゃんのドンといってみよう)」

2)1976年 音声MADの登場「奇知害低符」

MADテープの起源は『アオイホノオ』にも掲載されており、有名な逸話となっています。 1976年、大阪芸大MAD島川ネトホヘル矢野(矢野健太郎)が作った「奇知害低符」が最も古い音声MADと言われています。

3)1984年 パロディの過渡期「びすけっとビデオ」

パンドラの箱とのこと。
聞いてはいけない。(察しのいい人は、想像がつくかもしれない・・・が)

ニコ生でなんか言ってたかも(´-ω-`)

4)1985年 MADビデオの登場「十二支団ビデオ」

1985年、近畿大学「企画グループ十二支団」が製作した「十二支団ビデオ」が映像として世に認知された最初のMAD動画。当時は「編集パロディビデオ」と呼んでおり、後にMADビデオという名で呼ばれるようになりました。
大阪芸大と近畿大学。この2校を中心とする関西地区の有志がパロディ文化を広めてきたともいえますね。

MADの語源(1978年)

1)”MAD”の語源

私がブログに“作者が狂っている”って書いたのを、十二支団のtenchoさんが偶然見て、指摘して頂いたものです。

語源となるものはNEW MAD TAPE」(1978)の解説に書いてあったとのこと。

「同人誌即売会がまだ今ほどメジャーに行われていなかった頃、琵琶湖の南に怪しいテープが流行っていた。それを聞いた者はまとも歌がうたえなくなるという。」

つまり「聞いた者の記憶が狂う」が正解。アニソンを歌っていても、どうしても編集されたものを歌ってしまう現象。MADビデオにおけるMADはアニメのOPを聞いても違う映像しか頭に浮かんでこない現象をMADと呼んだとのこと。

なお、琵琶湖の南とは大阪芸大のある大阪地方、もしくはその近辺の同人誌即売会の活発だった近畿地方全般を指したものと思われます。

2)”MAD VIDEO”の語源

1985年当時MADテープは同人界隈では有名であったがビデオ映像が編集されたものはまだ、自主制作ともパロディビデオともOP集ともつかない過渡期の時代でした。製作者同士が交流することもほとんど無かったため、一般的な名称はなく、「パロディビデオ」「編集ビデオ」「編集パロディビデオ」などと呼ばれていたそうです

その後スタジオまるきさんという方が制作したビデオがMAD VTR(たぶん90年ころ)と言うタイトルだったので、これがMADビデオと言われる流れになったのでは?とのこと

(追伸)
「NEW MAD TAPE」のインデックスの画像は、十二支団 tencho様より提供して頂きました。